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高齢化社会の現代において、「老老介護」に直面している人はどれほどいるのだろうか

 
 
 
わたしの祖父母は父方も、母方も両祖父母ともに健在「だった」。
 
「だった」とは、先日、父方の祖父が他界した。
 
 
 
 
現代は、核家族化が進み、我が家も例外ではない。
 
古くからの嫁姑問題もあった。
 
母はひとり娘ということもあり、
 
父方も母方も、両祖父母ともに夫婦ふたりきりで生活をしていた。
 
 
 
祖父母ともに、若く、元気なうちは夫婦水入らずの静かな暮らしがいい。
 
ときどき、孫達がこぞって遊びにくる。
 
お彼岸、お盆、年末年始と一同集まり、それぞれの祖父母宅に集まるのが我が家族の行事になっていた。
 
孫がひとり、またひとりと結婚し、ひ孫ができ、増えていった。
 
その年月はだれにでも平等に過ぎていく。
 
 
 
祖父母もまた、年老いて、身体の自由がだんだんときかなくなった。
 
元々、身体が弱く、難病持ちの母方の祖母が介護状態になった。
 
腰骨を痛め、手術をする。
 
リハビリも終わり、退院するが、ひとりでは生活もままならない。
 
それを、祖父が介護する。
 
 
 
 
介護とは、たやすいことではない。
 
身の回りの世話、食事、家事、全てを男性が行うのは並大抵のことではない。
 
ケアマネジャーさんがつき、訪問介護なども行う。
 
デイサービスやショートステイのお世話にもなる。
 
 
 
 

ここではじめにぶつかる問題が、介護する側とされる側の心の問題だ。

 
介護する側は一生懸命、献身的にお世話をする。
 
しかし、介護される側は羞恥心というものを越えるのは難しい。
 
大人が、いきなり身体が動けないからオムツに用を足せといわれても、
 
出せるものではないだろう。
 
たくさんの羞恥心を超え、身体の不自由さを諦め、介護されることを受け入れる。
 
 
 
 
そこから、長い戦いが始まるのだ。
 
介護が長期化すると、
 
介護される側は、手の行き届かないお世話に不満がでてくる。
 
痴呆もなにもない、身体が不自由なだけの祖母は口がでた。
 
「やってもらっている」のが当たり前になり、不平不満を平然とぶつける。
 
慣れない家事をこなし、言われた文句を受け止め、服を着せ、病院につれていき、
 
身体を拭いてやり、食事を食べさせ、寝かしつける。
 
時に、トイレの介助をする。
 
子供のオムツの交換すらもしたことのない祖父には苦痛であっただろう。
 
24時間体制の介護に祖父の気苦労も、生半可なものではなかっただろう。
 
 
 
 
 

次に出て来る問題が、身体の衰えだ。

 
介護する側は、疲れ果てるが、生活には終わりがない。
 
そう、介護には終わりがない。
 
終わりがあるとしたら、相手が亡くなったときだ。
 
 
 
 
日本人は真面目で勤勉だという。
 
戦後から、日本を立て直した祖父母たち世代は、耐え忍ぶことに長けている。
 
それが美学とでもいうかのようだ。
 
昔気質で、頑固な祖父は、人に弱音を吐くなんてことはしない。
 
愚痴もこぼさない。
 
疲労の蓄積。そんな時に、自身の持病も悪化した。
 
自分自身の身体の衰えを実感し、心配し、将来に不安を覚えた祖父は精神を病んでしまった。
 
男性はメンタル面にて、ひどく脆いのだということを知った。
 
身体の自由がきかなくなる、当たり前にできていたことができなくなる。
 
人様の手を借りねば生きられない。
 
自信をなくし、プライドが崩れ落ちる、この状況に耐えられないのだ。
 
 
 
 
老々介護の限界点を突破した。
 
この時点で、母は実家に戻り、介護を始めた。
 
長いこと自宅でみていたが、祖父の精神疾患もひどくなり、2人の介護をすることが困難になり
 
祖母のことは施設へ預けることを決めた。
 
ほどなくして、祖父の精神疾患も落ち着き、祖母と同じ施設に夫婦そろってお世話になることにした。
 
 
 
 

そして同年代の父方の祖父母も同じような状態になった。

 
この母方の祖父母の介護を通して、老老介護の現状はわかっていた。
 
祖母を献身的に介護する祖父を助けるべく、定期的に様子を見ていた。
 
だがこの年末、急に祖父の体調が悪くなっていた。
 
元気がなく、いつにもまして弱気だった。
 
そこに加え、たて続きに入った訃報。
 
近所の知人や、身近な年の近いいとこの訃報を聞き、かなりの落胆だったという。
 
 
 
訃報を聞いた数時間後、祖父は夜の闇に消えていった。
 
凍てつく寒さの夜に、携帯も財布も置き、いつも外出するときにかぶる毛糸の帽子も置きっぱなし、
 
懐中電灯ももたず、誰にも声をかけずひっそりと家をでた祖父。
 
 
 
翌朝、懸命に探し回った甲斐もなく、見つけたときには冷たく息絶えていた。
 
こうなる前に気づいたはずなのに・・・
 
お正月に家族で集まって、もういろいろと介護の仕方を考えないといけないね、と話していたところだった。
 
 
 
助けられなかった。
 
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老々介護をおこなっている夫婦は、どれほどいるのだろうか。

 
わたしの住んでいるところは田舎だが、かなりの数の老夫婦がふたりきりで住んでいる。
 
寝たきりの介護ではなくとも、どこかしらに身体の不自由な部分をもっている。
 
助けてあげられる家族は近くにいるのだろうか。
 
 
 
 
この老々介護の背景にはいろいろな問題があった。
 
本人たちの夫婦でやっていくという意志が強いことも大きな問題だった。
 
田舎に住む老人は世間体を気にする。
 
老人ホームに入れたなどと知れたら、「家ではみてあげられなかったのか?」と責められる。
 
そして、祖父の死後、父のもとに来る人来る人、「残されたばーさんを大事に家に置いて最後まで面倒みてあげな」という
 
恐ろしい重しを積み重ねるだけ積み、帰っていく。
 
この呪縛から逃れる術はあるのだろうか?
 
 
 
 
介護は誰にでもできることではない。
 
誰もが自分の親を面倒みたいと思うが、現実にはそれぞれの仕事や生活がある。
 
祖父の死を目の当たりにし、この大きな課題を考えるきっかけとなった。
 
これからの家族のあり方を、未来を、想定して備えておくべきだろう。
 
 
 
最後に・・・
おじいちゃん、今までありがとう。お疲れ様でした。