祖父が亡くなって1年が過ぎて・・・

 

2017年はあっという間に過ぎていった。

いまの気持ちを綴って置こうと書き込んでいます。

 

 

命日の日。

家族はそれぞれ別のところで、さまざまな思いとともに過ごしていただろう。

 

介護が原因だったのか、精神的なものなのか、

原因は未だに分からないが祖父は自ら生命を絶った。

 

元旦に孫一同、ひ孫を連れて挨拶にいき、新年会をしている最中だった。

 

過去記事はこちら

老々介護からの自殺~介護の現実を考える~

 

 

怒涛のお正月から1年。

わたしはずっと後悔していたことがある。

 

 

暮れにお米をもらいに行った時、とっくに離婚したということを話した。

「どうして#$&Y%・・・」

などと言っていたが

「うるさい!もう済んだことで関係ない!」

と、一蹴して帰ってしまった。

 

 

大晦日にお蕎麦を打ちに行った時、体調が悪そうだった。

年末に近所でたて続きに不幸があり、その見舞いの心配をしていたが

「大丈夫だから寝てなよ!」

と、一蹴してしまった。

 

 

元旦の昼、新年の挨拶に行った時、どこか上の空だった。

体調不良がずっと続いるな、介護も疲れすぎているな、

そろそろ祖母の介護を祖父に任せないでどうにかしないとな・・・

と考えていた。

 

 

新年の挨拶に行った時に父が

「これだけ生きたんだから心残りなんてないだろー」

みたいな会話をしていた。

 

「うーん・・・そうだなぁ・・・」

 

なんて、返事を上の空でしてたっけ。

 

どうして、あの時、もっと優しい言葉で終わらせなかったのかなぁ。

どうして、あの時、もっと体調を気にして心配事を聞いてあげなかったのかなぁ。

 

急にいなくなってしまったから、後悔ばかりが残りました。

 

 

 

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残された祖母はというと

 

もともと勝ち気な性格の祖母なので、足が不自由なだけでいたって元気。

実際、祖父が自殺したトリガーが自分にあるとは微塵も思ってません。

介護疲れや体調不良が重なったところに、心無い祖母の言葉が最後の

リミットを切ったことなど知る良しもない。

 

ですからお葬式でも散々やらかしてくれました。

 

お葬式が終わってからは、ヘルパーさんやデイサービスなどに

積極的に(強制的に)行ってもらってます。

 

わたしも週1でリンパトリートメントをしに通っています。

 

今まで祖父がどれほどの介護をしていたか、思い知らされます。

こんなにしてあげていたのか・・・

 

毎日の衣食住すべてのお世話、

夜中のトイレに起きた時には布団のぬくもりが逃げないように代わりに寝ていてあげたり。

 

祖母のわがままを聞き、

男性が慣れない家事をして、

近所や区会の仕事、犬の世話、

全部ひとりで毎日、毎日。

 

 

お疲れ様でした。

 

 

後悔しないために

 

大切な人との最期はいつ訪れるかわからない。

だから、一瞬一瞬を大切にしよう。

 

そうわかっているものの、行動できない自分がいました。

 

最後に交わす言葉。

 

子供達を見送る朝、

外出する際の声掛け、

帰り際の挨拶、

寝る前のおやすみ。

 

いつ、これが最後になってしまうかわからないから。

気をつけて、気をつけて

一年を過ごしてきました。

 

そしてきっと、これからも・・・。

 

だいすきだよ。

愛してるよ。

ありがとう。